コンゴ民主共和国(DRC)の治安と歴史

コンゴ民主共和国の治安コンゴ民主共和国 (DRC)

※リアルタイムは日本です。ご安心を。

「コンゴ共和国」の次の国は「コンゴ民主共和国(DRC)」。

何と紛らわしい、、、いっそのこと全く違う名前にしてくれればいいのに。

1971年~1997年までのモブツ大統領独裁政権時代は「ザイール」という国名だったので、20年前くらいにバックパッカーをしていた人はこちらの名前のピンとくるかも。

(ちなみにザイールという国名の前は一瞬「コンゴ共和国」だった。つまりこの期間は2つの「コンゴ共和国」があった。)

現在、旅行者や地元の人はそれぞれの首都の名前をくっつけて「ブラザヴィルコンゴ」「キンシャサコンゴ」と区別している。

~以下面倒臭いので「コンゴ民」と略します~

コンゴ民主共和国って安全なの?

DRC.jpg

コンゴだろうとコンゴ民だろうとどこそれ?という方がほとんどだと思うので、場所はここ。
アフリカ中部です。

コンゴ民のことを友達とLINEで会話していたのだけれど、その返信に爆笑。

友達ライン

「コンゴ」を「コン」と間違えるのも面白いけど「食べ物」って・・・!

国を知ってる分、食べたら絶対お腹壊すだろうなぁ。

まぁコンゴにしろコンゴ民主にしろ、それだけ日本人にとって未知の国ということが判明。

ちなみに「しずかちゃんの入浴シーン」のくだりはまぁ色々あるんだけど、ここでは説明を省きますw

コンゴ民主共和国のエボラ出血熱問題

コンゴ民に行く前に調べるとまず出てきた「エボラ出血熱」。

エボラ出血熱は、2014年に西アフリカを中心に大流行した致死率の高い伝染病。

日本でも話題になったので知っている人も多いと思うけど、当時運悪くこの辺りを旅していたバックパッカーは相当大変だったよう。

エボラを持ち込ませないために国境が封鎖されたりでやむなく飛行機を使った人もいたとか。(情報ノートにて)

既に2016年頃にはどの国でも終息宣言がされたのだけど、コンゴ民では今年2017年5月にもエボラ患者が確認されている。

エボラ
出典:WHOのTwitter

※赤い場所がエボラ患者が確認された地域。まぁバックパッカーでもこんな場所通らないけど。

正しくはこの国では「何度も」終息宣言が出ているので、終息宣言が出たからと言って怪しいものである。

一応2017年7月には再び終息宣言が出されたので、今のところは大・・・丈夫?

コンゴ民主共和国の治安

congo2.jpg

↑外務省海外安全ホームページの危険度(2017年8月)

白:危険情報が無い場所
黄色:レベル1
オレンジ:レベル2
濃いオレンジ:レベル3(渡航中止勧告)
赤:レベル4(退避勧告)

ご覧の通り、コンゴ民の治安は、あまりよろしくない。

基本的に危険情報が発令されている場所はレベル1であろうと行くべきではないのだけど、見ての通りアフリカなんてレベル1だとラッキーと思わないといけないレベル。

個人的にはレベル3からは「かなり気をつけないと」という感じだけど、コンゴ民は全体的にレベル2、内陸部の「カサイ州」が危険度MAXのレベル4。

ちなみに国土全部真っ赤な国は中央アフリカと南スーダン。もちろん行ってません(行ってる人もいますが;)。

コンゴ民の首都・キンシャサの危険情報を外務省HPから一部抜粋。↓

●2015年1月カビラ大統領の選挙法改正を巡り、市民によるデモが発生。同デモは略奪行為を伴う暴力的デモに発展し多数の死傷者が出た(政府発表では死者は27人)。

●2016年9月独立選挙委員会(CENI)への大統領選挙の即時公示とカビラ大統領へ合憲的な辞職予告を行うべく、野党プラットフォーム「Rassemblement」の呼びかけにより反大統領デモなどが発生し、当局の発表によれば22名の死者を出す事態に。

同年12月にもカビラ大統領が憲法上の任期満了を迎えたことを受け、大統領の退陣を求める抗議行動が国内主要都市で発生し死者が出た。

主要野党は確実な政治合意の履行を求めるべく市民に対してデモ等を呼びかけていることから、2016年のような衝突が再び発生するおそれがある。

●一般犯罪では,「シェゲ」と呼ばれるストリート・チルドレンによるスリ、ひったくり及び「クルナ」と呼ばれる青年の不良暴力集団による殺人,強盗,恐喝事件が多発。

その他、短時間誘拐・自動車強盗・偽警察官による路上強盗などが発生している。

2014年11月、日本人旅行者が警察官を名乗る数人のグループに車両に押し込められ走行中の車内でナイフを突きつけられ、多額の現金を強取される被害が発生しており、防犯・安全対策を十分に行う必要がある。

●デモや抗議活動等が暴力を伴う大きな混乱に発展しているので、十分な注意が必要。

おぅ・・・怖い。

なので当然この国に行くのは非常によろしくないのだけど、陸路を使って南下したい私はここを避けて通ることは出来ない。

と言っても危険な上に大した見所は無く、結局その後安全をとって航路を使うしかなかったので、後々コンゴ民は飛ばしても良かったかなぁと思った。

ちなみに私はコンゴ民滞在中、首都キンシャサでスマホを2回強奪されかけました。

こんな場所で不用意にスマホを出してしまった私も私ですが、腕時計を無くしたので時間を見ようとリュックから出した瞬間、若い男の子がバッと取って行こうとして。

まぁスマホはストラップでバックの中に繋いでいるので取られはしなかったのですが、近くに警察官がいたので「あいつらスマホ取ろうとしたんだけど!」と報告すると「取られてないのか?なら良かった。気をつけなさい。」と言われただけだった笑。

2回目はさすがに気をつけて道路端の見えないような場所で隠れて見ていたのですが(道が分からなくなってしまって;)、1人の青年が「ハロ~!」と声をかけてきて、パッとそいつを見た瞬間別の青年がバッと取って行こうとしました。

何人か仲間がいたので、こいつらが外務省のHPで書かれていた「シュゲ」という犯罪グループだろうか。

平和以外に何でもある国・コンゴ民主共和国の歴史

コンゴ民については、カメルーンの日本大使館にあった本を斜め読みしたのだけど、まぁ何というかバルカン半島を彷彿させるような悲惨っぷり。

せっかく読んだので本から抜粋して少しだけこの国の事情を説明したい。

~思いの外長くなったので興味が無い人はスルーしてね!~

世界最悪の紛争「コンゴ」

本のサブタイトルは「平和以外に何でもある国」。

この「何でも」というのはプラスの意味では無く、紛争・疫病(エボラ)・自然災害・事故(航空機墜落)・汚職、、、というただただマイナス要素が「何でもある」という意味。

まぁ7年前に出版された本だから今はまだマシになっているだろうけど、これによると2008年の汚職指数が全国180ヶ国の内171位とのこと。凄いけどむしろ最下位が気になる。

辿ってきた歴史も悲惨で、1906年、ベルギーのレオポルド王2世がコンゴ民を私有地化し植民地に。

国民を奴隷として働かせ、抗う者は腕を切るなどの残虐ぶりでこの20年で人口の半分が死亡。その犠牲者数は500~800万人と言われ、これはホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と同じ規模にも関わらずあまり知られていない。

1960年、奴隷制度から開放され晴れて独立国となる。

が、独立から1週間とたたない内に内乱が勃発。

国の資源をちゃんと国民に還元しようとしたルムンバ首相が、反対派に「国民なんかに金を与えたら俺らの取り分が減るじゃないか!」と暗殺され(コンゴ民の資源を必要としているアメリカとベルギーも協力)、その暗殺に関与した反対派のモブツが大統領に就任し独裁政権に(コンゴ動乱の始まり。ここで国名がザイールに)。

※ちなみにこの独裁者モブツ大統領は、1971年に来日している。その際、昭和天皇が羽田空港まで出迎えるという歓迎ぶり!
ルムンバ反対派勢力だけではなく、その資源を欲する日本を含む先進国諸国も遠い国の平和よりも自国の潤いを優先したというのが悲しい現実。

で、そのモブツもローラン・カビラに倒され、独裁政権終了(第一次コンゴ戦争。※モブツは亡命したという記述もあり)。

その後、ローラン・カビラが大統領に就任し、政権や軍部からツチ系(民族)の排除を始めたために第二次コンゴ戦争へと発展、多くの死者を出す。

で、ローラン・カビラもまた護衛兵に撃たれて死亡。

その後彼の息子ジョゼフ・カビラが大統領によってようやく国際介入をまともに受け入れ、戦争も集結。

2006年に行われた40年ぶりの大統領選挙で彼が当選し継続して大統領になり、その後の選挙も再選し、彼は今もまだ大統領。

が、政府によって勝手に次の大統領選が2018年に延期されたため、ジョゼフ・カビラは任期が切れた今現在も大統領に居座り続けている。

それによって正に今リアルタイムで抗議デモが発生中・・・。

いや~色々とすごい国だ。

長くなったので、キンシャサの記事は次回へ持ち越します。

↓次の記事はこちら。

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