ブルガリアの首都・ソフィアから、マケドニア共和国の首都・スコピエへ。
「まけどにあ・・・?」という方が多いと思うので。(私同様)
場所はここ↓です。
えっ・・・
というか、国名が「北マケドニア」に変わってる!?
この記事を書いたのは2016年12月なのですが、2019年9月にもう一度まとめようとして発覚しました。
私が旅した2016年当時のGoogle Mapはこちらです↓
この時はまだ「マケドニア共和国」だったんですけどね。
まぁこの国名については何十年にも渡ってギリシャと揉めていたので、ようやく集結したのでしょうか・・・?
詳しくは文中で書きます。
はい、ということで、バルカン半島の「濃~い」部分に入りました!
この辺りの国はかつて「ユーゴスラビア」という1つの国で、それが独立していって国になったので小さい国が多く、マケドニアの面積も、新潟と長野を足したくらいの大きさ。
なので、この先バックパッカーは1カ国の滞在が1日とか、通り過ぎるだけの人も多いです。かと思えば、1カ国でもぅ3ヶ月もいてビザランしに行く、、、という人にも会ったりして、色んな意味でクセの強い地域だな~という感想。
ちなみに「バルカン半島」に含まれるのはこれらの国↓
地図にはトルコが含まれていませんが、トルコも含まれたりもします。「東ヨーロッパ(東欧)」という分類に含まれるのですが、この地域はその中でも「バルカン半島」と呼ばれます。詳しくは記事の最後にちょろっと書こかなと。
ブルガリアから先はいろんなルートがあり、北へ進む「バルト三国」ルートかそのまま西へ進む「バルカン満喫」ルートで迷い、まぁバルカンをまわってバルト行けばいいか~とマケドニアに足を進めたのですが。
一体何があるんだろうかマケドニア。何があるんか全然知らん。
マケドニアの国名と国旗の由来
そもそもマケドニアは、今から25年前の1991年に旧ユーゴスラビアから独立した比較的新しい国。
独立の際に、東方遠征を行った英雄「アレクサンドロス大王」の出身地「古代マケドニア地方」から名を取って「マケドニア共和国」という名をつけたのです。
ただ問題なのはこの「古代マケドニア地方」は現在のマケドニアに加え、ブルガリア、ギリシャを含んだ土地。
その上、アレクサンドロス大王の実際の出身地は現在のギリシャにあたる場所なので、これをギリシャが許すはずが無く、何十年にも渡って「国名を改名しろ」と要求しているのです。
ギリシャでアレクサンドロス大王は「我が国が誇る英雄」として讃えられているので、まぁ当然怒り。
日本で考えるとお隣の国が「ヤマト国」だとか「龍馬国」だとか名乗るようなものでしょう。
ギリシャ以外でも「マケドニア共和国」という名称を認めていない国は多く、日本も「マケドニア旧ユーゴスラビア」という呼び方をしています。でもまぁどっちみち「マケドニア」って入ってるのに、そこはいいんや。
そして国旗もまた、かつてはアレクサンドロス大王のシンボルマークを使っていたのですが、近隣国の批判により変更したそうです。
こちらが旧マケドニア国旗↓
現在のマケドニア国旗↓
う~ん!何だかお気楽な感じがするなぁ!!(゚∀゚)
ヨーロッパの火薬庫!?バルカン半島近代史の簡単な説明
宿で貰ったマケドニアの地図。
何だか凄く「俺らヨーロッパだかんね!」という感じがひしひしと伝わってくる。
え!?EU加盟してるの!?
・・・と思ったけど、「加盟候補国」となっているだけらしい。
マケドニアと仲の悪い、EU加盟国のギリシャが反対しているとか。
さて、ここからは少しバルカン半島について説明しようと思うので、興味のある方だけどうぞ。
先に少し書いたように上地図の色がついている部分が「バルカン半島」。※トルコも時々含まれる。
多くの人種、宗教が入り乱れているため、いつ戦争が起こってもおかしくないということから「ヨーロッパの火薬庫」なんて可哀想な異名が付けられているのだけど、現在の情勢は一応安定しているよう。
しかしクロアチアなんかは「うちバルカンじゃありませんから・・・」とバルカンと呼ばれるのを嫌がる国もちらほら。
バルカン半島についてしっかり説明しようとすると一体何記事になるか分からないのでサラ~ッと簡単に説明します。
説明なんてしなくてもいいんだけれど、是非バルカン半島に行く人はここの歴史を知っておいてほしい。はっきり言って私は歴史に全然詳しくないし、さほど興味も無いのだけど、この地域は特に「知ると倍旅が面白くなる」と私は思います。
別に旅をしない人でも、バルカン半島の歴史って面白いと思うんですよね。
まぁ戦争だらけの場所なので、あまり面白い面白いと言うのもどうかと思いますが、思わず「え?それほんまなん?絶対盛ってるやろ。ソース出しなよ。」と言いたくなるような史実が盛り沢山。
例えばマケドニアのお隣の国「アルバニア」は、26年前・1990年頃まで鎖国をしていたことで有名ですが、国内でねずみ講が大流行し、国民の3分の1以上が全財産を失い暴動が起き、国家が傾いたという事実が。
これを初めて聞いた時「え?ねずみ講で国崩壊?;どうせネットの嘘情報やろ?」と思ったけど、実際調べて本当だったので非常に驚きました・・・(;´∀`)
(ソース:外務省アルバニア基礎データ)
まぁそういうちょっとおかしな国が集まるバルカン半島。
そのほとんどはかつて「ユーゴスラビア」という1つの国だったのです。
旧ユーゴスラビアだった国↓
出展
「ユーゴスラビア」という国名は「ユーゴ=南」「スラビア=スラブ人」、「南スラブ人の土地」という意味。が、もちろんスラブ人以外にも多くの民族がいるわけで、ユーゴスラビアを表す数え歌というのがこちら。
7つの国境
6つの共和国
5つの民族
4つの言語
3つの宗教
2つの文字
1つの国家(=ユーゴスラビア)
そして最後はこう言い換えることも。
「だけど1人のチトー元帥」
そう、これだけ色んな民族が入り乱れているものの、それをまとめていたのは「チトー元帥」唯一人。
1953年の就任から1980年の死去まで大統領の地位にあり続け、独裁者でありながら国民にも人気のあったカリスマ的存在。
飛ぶ鳥も落とす勢いのあったソ連いう大国とも対等、、、どころかもぅほぼ無視!w
当時のソ連の最高指導者と言えば泣く子も黙るスターリン。あの世界の半分を支配したスターリンすら、チトーが守っていたせいでユーゴスラビアには手がつけられなかったのです。
そしてカリスマチトーの死により、ユーゴスラビアは徐々に分裂し、戦争が起こってしまいます。
この戦争というのはチトーの死後なので、第二次世界対戦とかそこまで昔の話ではなく、1991年の「ユーゴスラビア紛争」。今からたった25年前の話ということをお忘れなく。
正直ここからが大事なところで詳しく書きたいところだけど、この先を書くとまた何記事になるん!?となってしまうのでここまでにしておきます。
バルカン半島のことをお手軽に勉強したいのであれば、こちらの動画をおすすめします。
番組を進める「憲政史研究家」という肩書きの倉山満さんの毒舌具合が笑えます。
大体こういう解説者って、固くて難しい人が多いけど、この倉山氏はかなりの毒舌で解説者というよりも「歴史オタク」という雰囲気で聞いていても面白いのです。
私と同じ香川県民ということで更に無駄な親近感。「流刑地、さぬき出身の~」という自己紹介が毒舌っぷりを物語っています。
かなりスピーディーに説明されるので、歴史に疎い私は「えっ今の所もぅ1回!」となったりするものの、詳しくなくても結構楽しく見れます。
Season1からSeason5までと長いんだけど、1回15分前後なのでちょっとした時間でサクッと見れるのもいい。個人的にはSeason4の倉山氏の「やめてくれぇ~っ」がツボ。見る人が見れば結構偏った部分もあるのかもしれないけれど、面白くてついチャンネル登録してしまいました。(決して私はチャンネルくららの回し者ではありません。)
ブルガリア(ソフィア)からマケドニア(スコピエ)へ
とりあえずブルガリアのソフィアから、マケドニアの首都・スコピエに行こうとバスターミナルでバスの時間を確認すると、バスは「7時、17時半、24時発」の1日3本のみ。
で、何時間で着くのかと言うと約2時間半。まぁこれは東欧あるあるなんですが「バスの時間がめっちゃ早いかめっちゃ遅い」。
中途半端な時間に出発するので非常に面倒くさい。
私はブルガリア最終日もソフィア市内を歩きたかったため、夜の便で行くことに。
17時半発で夜着くのも嫌だったので、チケット売り場のお姉さんに24時発のは何時に到着するのか聞くと、「朝5時」って言われたんですよね。夜着くよりも、朝早い方が明るくなるまで待って歩けば大丈夫かな~と思い24時発の便に乗車。
まぁ結局、スコピエに着いたのは朝の3時半だったんですけどね。
1時間半も早いやんけ。
しかも時差があって、現地時間は2時半。
なんでや。
早朝というより完全に深夜やん。
バスで2、3時間で着くというのは知ってたけど、お姉さんが朝5時着って言うから、深夜は国境でちょっと待ったりするのかもな~と思っていたものの、国境では係員がパスポートをバスの中で回収してチェックするので、バスも降りずに荷物チェックも無くすんなり通過したのです。
予約した宿は駅から近いものの、真っ暗な中歩くのも危険なので、とりあえず明るいバスターミナルの中で明るくなるのを待つことに。
と、バスターミナルの待合室のイスに座ろうとすると、日本人っぽいアジア人の男性が・・・って!?
「シホさん!?」
「R君!?」
イランで出会い、ジョージアで偶然再会したR君と、またしてもここマケドニアで偶然再会!!いやいや、2度あることは3度あるなぁ~。もちろん私がトルコでちょろちょろしている間にR君は何カ国も進んでここへ至っているわけですが。
とりあえずR君も朝を待っているということで仲間GET。バスターミナルはまぁまぁ人もいてそれ程危なそうな感じも無いけれど、外は暗いし、2人いるとやはり心強い。
待合室は暖房設備が無く凄く寒かったので、ATMでお金を降ろして自販機で温かいコーヒーを買おうとしたものの、どこを押してもお釣りが出てこない。
仕方ないので、近くを通りかかった女性に助けを求めた。
私「これ、どうやってお釣り出るの?」
自販機の返却ボタンを何度も押す女性。
女性「おかしいわね・・・アナタ、いくら入れたの?」
私「100ディナール札。」
女性「オーマイ・・・ッ!!これは壊れているみたい。多分あなたのお金は戻ってこないわ。」
えっ・・・Σ(゚Д゚;)
100ディナールっていくら!?
そんなに多くないはずだけど、女性の大きなリアクションで私のレート換算が間違っていたのかと不安になる。(スマホがあればすぐ調べられるけど無いので)
ATMでお金を降ろした時、紙幣が何種類かあり、一番小さい紙幣が100ディナール札だったからそれを入れてしまった。
とりあえずお金が戻ってこないなら全部使いきった方がマシだと思いコーヒーを買い続けたのだけど、結果、7杯も買えてしまった。
コーヒーは種類によるけど1杯15~20ディナールと表示がある。
「一体100ディナールって日本円でいくらなんだろう・・・」と脇汗をにじませながら自販機の下にコーヒーを並べ続ける私。
通りがかった見知らぬおじいちゃんに経緯を説明して(多分通じてないけど)「コレあげるよ!」とコーヒーを渡したら、何とそのおじいちゃんがニコニコと50ディナール札を渡そうとしてきた。
当然そんなつもりがない私は断ったのだけど、孫にお小遣いをやるおじいちゃんの如く私の手に無理やりお金をねじこみ、いいからいいからと去って行った。
何か申し訳なくなったけど、いいことってするもんだと思うことにしよう。
おじいちゃんありがとう( ;∀;)
それでもまだ両手いっぱいのコーヒーを持ってR君の元へ戻り、恐る恐るR君に100ディナールがいくらなのか聞いてみると。
「200円しないくらいですよ」
な、なんや・・・ε-(´∀`*)ホッ
良かった~!!
というか、200円でコーヒー7杯買えるって・・・。
↑後で分かったけど、どうやら私の前にもお釣りを回収できなかった人がいたらしく、私がお金を入れる前に30ディナール分くらい残っていたので、計130ディナール分(約240円)のコーヒーが買えたことになる。
1杯35円前後!安い!
しかもトルコでずっとチャイばかりだった私にとって紙コップのコーヒー自販機というのは非常に嬉しかった。
マケドニアの紙幣はカラフルでかわいい。(大体ボロボロだけど;)
硬貨の裏も動物の絵でかわいい。一番右はヤマネコかな?思わず持ち帰った。
ただ硬貨がちょっと分かりにくい・・・。
一見右の方が補助通貨(1円とか)っぽい気がするけど、実際には、左の5ディナールの10倍の価値がある50ディナール。
しかもこの50ディナールと10ディナールは硬貨だけではなく紙幣(始めの写真の紙幣)もあるので更に分かりにくい・・・!
日本円で言うと、500円硬貨と500円紙幣がある感じ。途中まで分からなかったので1回くらい間違って使っている気もする;
ブルガリア(ソフィア)からマケドニア(スコピエ)への行き方【国境】
ソフィア 24:00発~スコピエ 2:30着(現地時間)
バス「Kaleia」社 約3時間半 32レヴァ
・その他の出発時間 7:00、17:30
・ソフィアのバスターミナルはエアコン完備。24時間オープン。Wifiはあるが充電場所は無い。
・国境は荷物検査も無くスムーズ。バスの中でパスポートを回収される。
・時差1時間。スコピエで時計を1時間戻す。
スコピエのホステル
「Hostel Valentin2」
ドミトリー:400ディナール(6.5ユーロ)
WIFI:あり(部屋可。速度速め)
設備:ホットシャワー、キッチン、個人コンセント・読書灯、ベッドカーテン、セキュリティーBOX、洗濯禁止
宿泊日:2016.10.15~2泊(Booking.comで予約)
注意点:要予約。オーナーは9時~22時くらいまでしかいないので、チェックインはその時間帯にしか出来ない。予約時に到着予定時間を設定しておいた方がいいけど、基本的に深夜早朝は無理。宿泊客にも防犯のために絶対開けないようにと念を押されるので、人がいても開けてくれない可能性大。
その他:バスターミナルからは近いけど市内までは少し遠い。市内地図をもらえる。部屋もきれいで結構居心地はいいけれど洗濯禁止でランドリーサービスもバカ高いのが難点。
行き方:バスターミナルから徒歩5分。マンションの「9」と書かれた扉の2階、12番。
↓大通りに小さい看板が出ている所を左。
コメント
こんにちは。
ボクも歴史が好きなので、「知ると倍旅が面白くなる」というのは賛成です!
バルカン半島の争いは、バルカン半島の中では終わらないのが辛いところですね。
民族や宗教で他の国がからんできますから。
ほとんど単一民族国家のような日本とは逆の地域ですね。
教会や遺跡などの観光名所でも、その歴史を知ってると知らないでは全然味方が違いますよね。パッとしない遺跡なんかでも、その歴史を知っていると感慨深いものがあります。
本当、バルカン半島はいろんな国を巻き込んでの戦争を起こしているので逆によく終結したなぁ~と思いました(;´∀`)他宗教、多民族が集まる国はやはり何かしらの紛争が起きるのが悲しいですね。
しほ