意外と治安がいい!ボスニア・ヘルツェゴビナの首都「サラエボ」観光

さて、もはや皆様お忘れでしょうが、海外旅行記がまだまだ途中なので、暇を見つけて根気よく書いていこうと思います。

前回の旅行記はこちら。バルカン半島に属するボスニア・ヘルツェゴビナの世界遺産の街「モスタル」観光です。

ボスニアの古都モスタル|平和を願う世界遺産の美しい橋

今回は、同国の首都「サラエボ」。モスタルからはバスで3時間弱でした。

サラエボと聞いて治安が悪そうなイメージを持つ方も多いでしょう。
それもそのはず。モスタルの記事でも書きましたが、サラエボでは1996年、今からほんの20数年前まで紛争が続いていたのです。今まで「どこか遠い異国の出来事」だったのですが、まさか20年近くの時を経て自分がその地に行くことになろうとは。

更に廃墟好きとしても、サラエボでは行きたい場所があったので、楽しみにしていた都市のひとつでもありました。今回はメジャーな観光名所から。

バスターミナルからトラムに乗って市内中心部へ

サラエボの駅。何というかまぁ・・・想像通りの廃れ具合。

でも近代的なビルもありました。

そしてその前を走るおんぼろレトロなトラム(路面電車)。
予約したゲストハウスへはこのトラムで行きました。

トラムの車内はプラスッチックのような硬いイスで2列と1列に分かれています。
切符はバス停周辺のキオスクで買うか、車内でも買えます。キオスクだと1回1.6マルク(約94円)、車内だと1.8マルク(約105円)でした。※2016年11月当時
乗車したら必ず改札機にチケットを入れないといけません。
切符はここでは「カルタ」と言います。カルタって語源はポルトガル語なので、その辺りから来たのでしょうか。

ボスニア・ヘルツェゴビナの公用語はボスニア語などですが、外国人観光客も多い場所では英語も通じます。

宿の名前がどこにもない宿の外観

本日の宿に到着。
宿の名前はどこにもなく、謎のイラストが出迎えてくれます。本当にここで合ってる?とまぁいろいろと不安になる外観ですが、インターホンを鳴らさないと開けてくれないので、セキュリティ面では安心かな。

部屋は普通。ドミトリー(相部屋)ですが、オフシーズンなので例によって私一人でした。
ただ私が行った時期が11月と冬なので、この辺りのゲストハウスはどこも寒いのです。
ヒーターが効いているのかも謎だし、なぜか絶対夏用!といううっす~い掛け布団しか無いんですよね・・・。これは私が安い場所ばかり選んでいるからであって、やはりいい条件がある宿はそれ相応の値段を払えということなのでしょう。

サラエボの町を観光

バルカン諸国の観光には、嫌でも戦争の面影がつきまといます。特にサラエボと言えば、第一次世界大戦の引き金となった1914年の「サラエボ事件」や、1992年~1995年まで続いた「ボスニア紛争」でのサラエボ包囲等、かつて「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれたバルカン諸国の正に火元のようなイメージ。

なので、実際にここに行くまではどんな寂れた町なのかと思っていたのですが、非常に多くの観光客で賑わっていたことにすごく驚きました。

サラエボ旧市街

バシチャルシアの水飲み場「セビリ」

水色屋根の「水飲み場(セビリ)」があるのが「バシチャルシァ広場」で、サラエボに来たらまずここで記念撮影、というランドマーク的場所になっています。

サラエボはこの「バシチャルシア」と呼ばれる旧市街が、観光の拠点。

ヨーロッパ風の石畳の町並みは、東欧ではもはや見慣れたものですが、建物はオスマン帝国(トルコ)支配下の時代に造られたようで(オリジナルの部分は少ないかもですが)、木製で瓦屋根というのがこの辺りでは少し珍しかったです。ただ内部は全てお土産屋さんや観光客用レストランとなっているので、かなりツーリスティックではありますが。

お土産屋さんが立ち並ぶ旧市街

銀・銅製品がサラエボ土産として有名で、同じようなお店がたくさんありました。

銀・銅製品のお土産屋さん

これはボスニアコーヒーを淹れるサーバー。
ボスニアコーヒーは、トルココーヒーと同じで、フィルター等を使わずに、コーヒーの粉をお湯に入れて煮出すという淹れ方。

ボスニアカフェ「INDEX」

レトロな外観の雰囲気のいいカフェがあったので、ここでボスニアコーヒーを飲んでみることに。

エスプレッソカップで出てきました。
お味は・・・うん。トルコと同じ。ちょっと粉っぽい感じがあるんですが、慣れると以外と美味しく感じてきます。

お土産屋さんにはこういった銃弾に模したペンや、銃弾をそのままキーホルダーにしたものが沢山売っています。日本では絶対無いけど、外国の人って本当、こういうブラックッジョーク大好きなんですよね。

お店の人に、この銃弾は本物ですか?と聞くと。

「あぁ!実際に戦争で使われたものだよ!この銃弾も、誰かの体を貫通したものかもね~!Hahaha~!!」

絶対嘘やん。
でもこういう冗談をサラリと言えるくらいに、町は平和になったということなのでしょう。

ボスニア・ヘルツェゴビナ最大のモスク「ガジ・ヒュースレフ・ベイ・モスク(Gazi Husrev-beg Mosque)」

1532に建設され、1990年代の紛争でも大きな被害に遭わなかったため、ほとんだがオリジナル。まぁ中は入っていませんが。

向かいにある水飲み場は、人だけじゃなく、猫や鳩のためでもあるそうです。

ドローン禁止看板

ボスニア・ヘルツェゴビナ最大の聖堂「サラエヴォ大聖堂(Sacred Heart Cathedral, Sarajevo)」

一般的サラエボ観光の一番目玉といってもいい場所のようですが、どういうわけが写真がこれしかありません。よっぽど興味が無かったのか・・・。しかも夜って。←ウォーキングツアーに参加していたので。

私が訪れた時は、旅行会社が毎日無料のウォーキングツアーを開催していました(最後にチップ)。ただこのツアー、開始時間が16時半から2時間と結構遅く、その上当初2時間の予定が、終わってみれば20時半・・・って3時間もやってるやん。

様々な場所で詳しく説明してくれたのですが、サラエボ事件の話しかメモがありません。ただ私は、サラエボ事件って「サラエボでオーストリアのえらいひとが殺されて、第一次世界大戦になっちゃったよ」くらいの知識しか無かったため、ガイドさんの話はメモに残すほど「へ~」と思ったので、ここで一部紹介します。

第一次世界大戦の引き金となった「サラエボ事件」

ラテン橋

1914年6月28日、オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント大公夫妻が軍事演習を視察のためにサラエボ(当時オーストリア領)へ。車で移動中にセルビア人暗殺グループによって爆弾で襲撃されるも、夫妻には当たらず未遂に終わる。2人はその後の予定を全てキャンセルし、負傷した人を見舞うために車で病院へ向かうが、ルート変更の伝達がドライバーに伝わっておらず、道を間違えたため、ラテン橋近くで停車。

停車した近くのカフェには、何と先程暗殺を失敗して逃げ切ったグループの一人・プリンツィプが。突如目の前に現れたフェルディナントを至近距離から射殺、妻・ゾフィーも射殺され、お腹にいた赤ちゃんも死亡。

もしドライバーが道を間違っていなければ、多くの死者を出した第一次世界大戦も起こっていなかったのでしょうか・・・。

ガイド曰く、フェルディナント大公夫妻は結婚14周年ということもあり、オープンカーで祝賀ムードでした。が、この「6月28日」はグレゴリウス歴を使用するオーストリアでは普通の日ですが、セルビア歴では6月15日・セルビア敗戦の日で、セルビア人にとっては喪に服す日。そんな日に祝賀ムードで来るなんて・・・。

更に軍事演習の視察を命じたのは、フェルディナント大公夫妻をあまり快く思っていないオーストリア皇帝であるフランツ・ヨーゼフ。そんな暦のこと分からないほどアホではないでしょうに。更にフランツ・ヨーゼフは、ずっとサラエボに攻め入る機会を狙っていたというのですから、まぁ何とも裏がアリアリな感じの事件なのです。

ここから第一次世界大戦への経緯は割愛するので、Youtubeででも調べて下さい。私はチャンネルくららのバルカン編がひたすら好き。

ラテン橋近く事件現場前の建物は、現在サラエボ事件や当時の生活を紹介する「サラエボ博物館」となっています。当時のメイクボックスや眉切り鋏等細かいものも展示されていました。(入場料:3マルカ)

セルビア正教会

夜のセルビア正教会

サラエボ大聖堂のすぐ近くには、セルビア正教会もありました。

昼のセルビア正教会

セルビア教会の前では大きなチェスをするおじさん達が。この人達、夜暗くなってもやっています。

ユダヤ博物館(古いシナゴーク)

元々はユダヤ教の教会である「シナゴーク」として使用されていましたが、現在はユダヤ人の昔の生活を紹介する博物館となっています。(入場料:3マルカ)

それほど面白い展示物はありませんでしたが、シナゴークに入ること自体があまり無かったし、厳かな雰囲気は残っていました。

ユダヤ人が大量虐殺された当時の写真もあり、山積みになった死体の写真は結構ショッキングでした。

日本ではあまり馴染みの無いユダヤ教。

ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神ヤハウェを神とし、選民思想やメシア(救世主)信仰などを特色とするユダヤ人の民族宗教である。『タナハ』(キリスト教の『旧約聖書』に当たる書物)が重要な聖典とされる。(Wikipedia)

ユダヤ教はキリスト教・イスラム教と並ぶ一神教で、この3つの宗教は、その呼び名が違うだけで全て同じ神を敬っています(ユダヤ教・キリスト教では「ヤハウェ」、イスラム教では「アッラー」)。同じ神様を信じているのになぜこうも昔からドンパチやるのか本当に謎ですが、まぁ同じ神を信じるが故に譲れない部分があるのでしょうか。

「ジョジョの奇妙な冒険」は好きだけど、ジョジョ派かディオ派か、みたいな?

ちなみに私はジャイロ派です

STEEL BALL RUNジョジョの奇妙な冒険Part7(全16巻セット) (集英社文庫 コミック版) [ 荒木飛呂彦 ]

うん、まぁ確かにそこは譲れんわな。

以前ユダヤ教について少し調べて初めて知ったのですが、ユダヤ人がユダヤ教徒なのはもちろん、ユダヤ教を信じる人は全て「ユダヤ人」なのだそうです。国籍が日本人やアメリカ人であっても「ユダヤ人」。これも選民思想からきているのでしょうが、日本語でキリスト教徒を「キリスト人」なんて呼ばないのに、ユダヤ教だけこういう言葉があることに歴史の深さも感じます。

もっと書きたいところですが、長くなるので割愛。

名前を忘れましたが、古い教会にも入ってみました。

平和の火を絶やさない「永遠の炎」

メインストリートであるフェルハディヤ通りの先にあるのが、第一次世界大戦で亡くなった人の冥福を祈る「永遠の炎(Vječna vatra)」。

結構消えることもあるそうです。

この辺りはヨーロッパ調の古い建物が多く、また違った雰囲気があります。

戦争の悲劇を忘れないために町に残る「サラエボのバラ」

町を歩いていると、路上に赤いペンキが飛び散ったような場所があります。

これは紛争時の砲弾で死者が出た爆発痕を、戦争の悲劇を後世に残すために赤い樹脂で埋めたもの。バラのように見えることからそう名付けられていますが、血が飛び散った跡のようにも見えます。

ガイドさんの言葉が印象的でした。

「当時は安全な場所なんてどこにもありませんでした。僕の友達も沢山死にました。僕が今こうして生きているのは、ただ僕がラッキーだっただけなんです。」

夜のサラエボの町

そう考えるとほんの20数年で、夜でも出歩けるほど平和になったことに人間の逞しさを感じます。

夜も人で賑わうカフェ

ライトアップされた夜のサラエボ市庁舎

かな~りコアな内容のサラエボ編、まだ少し続きます。

モスタルからサラエボの行き方

バス 約2時間40分
10:00発~12:40着 20マルカ(約1,200円)

サラエボのゲストハウス

「Hostel Lucky(ホステル・ラッキー)」
住所:Mehmeda Mujezinovica 12
電話番号:+387 61 448 719
ドミトリー:10マルカ(約610円)
設備:WIFI(部屋可)、キッチン、ロッカー、個別コンセント、部屋温かい
行き方:サラエボバスターミナル、駅からトラムNo.1で7駅目「Vijecnica」下車。そこから徒歩5分。
(2016.11.1泊)

「Hostel Heart of Sarajevo(ホステル・ハートオブサラエボ)」

住所:S.H. Muvekita 2
電話番号:+387 61 688 999
ドミトリー:11マルカ
設備:WIFI(部屋可)、キッチン、ロッカー、個別コンセント、部屋寒め
行き方:ボスニアヘルツェゴビナ連邦側バスターミナル→トラムNo.1で6駅目「Latinska Cuprija」下車。そこから徒歩5分。
セルビア人共和国側バスターミナル(ルカヴィツァ)→トロリーバス103番。
(2016.11.2泊)

 

bali

 

この記事を書いた人:SHIHO

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