セルビア|戦争の残忍さを物語る「頭蓋骨の塔」の今

ヨーロッパ

セルビアのニシュには、「頭蓋骨の塔(Skull Tower/スカルタワー)」と呼ばれる、本物の人間の頭蓋骨が埋め込まれた塔があります。

実際に行ったものの、内部は写真撮影禁止だったので写真がほぼありません。

しかしせっかくなので、歴史の勉強を兼ねて、このスカルタワーについて少し説明しようと思います。

行く予定がある方は、ぜひ一読してから訪問してください。
行く予定が無い方が大半でしょうが、まぁ暇な時にでも読んでみてください。

セルビア・ニシュにある「頭蓋骨の塔(スカルタワー)」の歴史

頭蓋骨の塔

「頭蓋骨の塔」入り口

「頭蓋骨の塔」は、人間の頭蓋骨が埋め込まれた石造りのモニュメント。

これは、第一次世界大戦よりも前、第一次セルビア蜂起(1804-1813)中に、当時この地を支配していたオスマン帝国によって造られたものです。

※オスマン帝国・・・14~20世紀初頭まで存在した、現在のトルコを中心として建国されたイスラム教の大帝国。

~最後まで敵に屈しなかったセルビア反乱軍~
1809年5月、セルビアの司令官ステヴァン・シンジェリッチが率いるセルビア人反乱軍が、オスマン帝国に攻撃を受けました。

オスマン帝国に取り囲まれたシンジェリッチは、自軍の火薬庫を爆破。引きつけた敵も巻き添えにした集団自決を図ったのです。

これは、敵軍の捕虜となって彼とその部下全員が拷問されることを防ぐためにとった行動でした。

~反乱軍への見せしめの塔~

画像:Wikipedia

戦闘後、オスマン帝国はシンジェリッチを含む敵軍の頭部を切り落とし、反乱を企てるセルビア人への警告として、この頭蓋骨の塔を建てました。(頭蓋骨だけになるのは時間がかかるので、生首のままだったとも言われています。)

オスマン帝国は、勝利した敵の頭蓋骨で塔を作り、相手を恐怖に陥れることで知られていたのです。


画像:Wikipedia

建設当時の塔の高さは4.5メートル。
当時は952個もの頭蓋骨が塔に埋め込まれていましたが、その多くが落下したり、遺族の親族が頭蓋骨を埋葬するために取り外したりしたため、その数は減少し、現在は58個となっています。

~頭蓋骨の塔を守るセルビア軍~
1860年代初頭、ニシュ最後のオスマン帝国知事であるミッドハットパシャは、残りの頭蓋骨を塔から取り除くように命じました。

彼はこの塔が反乱軍に対し既に効果が無く、逆にオスマン帝国の過去の残酷さを人々に思い出させるだけで、帝国政権に対する遺恨を助長することに気付いたのです。

しかし、戦争の事実を残すために、今度は逆にセルビア勢力がそれを阻止。

1878年、ついにセルビア軍はオスマン帝国からの独立を果たしました。

~慰霊碑となった頭蓋骨の塔~

かつて野ざらしだった塔は、現在は建物に覆われ、礼拝堂が併設され、独立の象徴と戦争慰霊碑として保護されています。


画像:Wikipedia

ステヴァン・シンジェリッチのものと思われる頭蓋骨は、ガラスケースの中で保護されていました。

実際ここを訪れてみると、既に頭蓋骨の数が少なくなっているせいか、それほどおどろおどろしい感じはしませんでした。

ただやはり、本当にこの見上げるほど高い塔一面にそれがあったかと思うとゾッとします。

無駄な殺生をするのは自然界で人間だけ。

こういう負の遺産を見ると、つくづく人間って残酷だと実感します。

「頭蓋骨の塔(Skull Tower/スカルタワー)」への行き方

市内から徒歩40分前後。
市バス 1・4・10番等で約10分

※「スカルタワー」よりも現地語の「チェレ・クラ(Ćele kula)」の方が通じやすい。

ニシュ(ニーシ)の穏やかな町並み

暗い内容の記事が続きましたが、現在のニシュはとても穏やかで素敵な町です。

新しい建物に混じって古い様式の建物が残されている町並みもいいし、観光客も多くないのでのんびりとした雰囲気。

町の中心にはオスマン帝国時代に築城された「ニシュ要塞」が残されていて、誰でも自由に城壁の中へ入ることができます。中は公園のようになっていて、大したものはありませんが、市民の憩いの場になっているよう。

広場にはユーモアのある銅像も。

たまたまこの日は民俗ダンスショーみたいなものをしていました。

制服の男性が沢山いたので、警察か軍隊の催し物だったのだと思います。
旅中たまたまこういうのを見れると非常に嬉しいですね~。

次はセルビアの首都・ベオグラードへ向かいます。

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