※文章の一部に多少生々しい表現が含まれます。苦手な方はご遠慮下さい。忘れっぽい自分のための備忘録なので、単調な文になることをご了承下さい。
バラナシに来て1週間が過ぎた。
宿がガート沿いということもあり、ガンガー(ガンジス川)を見ない日は1日として無い。
そしてガンガーは毎日見ても飽きない。
いつ見ても似たような光景が繰り返されるのだけれど、何故か飽きない。
水面をキラキラと照らす太陽と、光の尾を伸ばしながら進むボート。それに群がる水鳥の群れ。
「ハイ、マダム!ボートノラナイ?ヤスイヨ~!」
同じ言葉を時には英語、時には日本語で声をかける客引きの男。
客引きの男がきっちりしたジーンズを履いているのに対し、外国人観光客が綿の薄いだぼだぼのパンツを履いているのも面白い。
川の上には無数の凧が飛び交い、カードゲームで遊ぶ大人達。女性は家の中で遊ぶのか、ガートでたむろしているのは大人も子供も男性だけだった。
そんな中祈りながら沐浴する人もいれば、単純に体を洗ったり、洗濯する人々がいる。
そして遺体を燃やす人。
国民のほとんどがヒンドゥー教徒のインド。
ここでは人が亡くなると、聖なる川・ガンガーの岸辺で遺体を燃やし、灰にして流す。
ガンガー沿いには大きい火葬場、小さい火葬場、2ヶ所の火葬場がある。
この日私はそこが火葬場とは知らずに、小さい方の火葬場を通りがかった。観光客は少なく、声をかけてくる現地人もいなかったため、ガートの隅に座り、しばらく火葬場の光景を眺めていた。
既に3ヶ所ほどで炎が上がっていて、更に竹で組まれた担架に乗せられた遺体が私の前を運ばれて行った。遺体はオレンジ色の布でくるまれ、その上にこれまたマリーゴールドのような鮮やかなオレンジ色の花でつくられた花輪が置かれている。布の色がオレジンだと女性、白だと男性なので、この遺体は女性らしい。遺体は担架ごとガンガーの水に一旦浸された後に、四角に組まれた薪の上に乗せられる。
10歳前後くらいの子供がその上から更に薪を乗せ、火薬のような粉を振りかける。そこに下半身だけ白い布を纏った上裸の男性が来て、藁に火を付け、着火する。男は頭を丸めてはいるものの、後頭部の1ヶ所だけベレー棒の先のように髪の毛を剃り残している。神聖な場に何だかちぐはくで笑ってしまいそうになるのだけど、後で聞くと初めに火を付けるこの人が喪主で、髪をそこだけ残すのは「神の祝福を」とか「良いことがありますように」とかそういう意味らしい。火葬が終わってもその髪のまま過ごすので、この髪型の人がいたら、身内に不幸があった人ということ。火を付けたのは若い男性だったので、その女性の息子か孫だったのだろうか。
その後は火葬職人と思われる男性と子供が、早く燃えるように風を送ったり薪や粉を足したりしていた。立ち上る煙と一緒に木が燃える匂いと、時々チキンを焼くような香ばしいとすら思えるような匂いがする。もっと異臭がするのかと思っていたけれど、火薬のようなものを沢山使っているせいかそれ程変な臭いはしなかった。
遺体が置かれている木組みは人の身長よりも少し小さいため、黒くやせ細った足の膝から下がはみ出している。私の座った場所からほんの2、3メートル先で燃えているその足は、その他の部分が燃えたことによりガクンと垂れ下がり、燃え残ってしまっていた。そこへ先ほどの少年がやってきて、長い竹の棒を器用に操って、その2本の足をぽーんと薪の上に乗せ換えた。
燃える火の中でかろうじて見えていた足の裏は徐々に黒ずみ、そのうち他の木と混ざって、どれが足なのか分からなくなった。
遺族と思われる人々は始めはその炎をじっと見ているものの、暫くすると少し離れた場所で固まって雑談を始める。人一人が燃え尽きるまでにはかなり時間がかかるらしい。ふと周りを見渡すと、どの遺族も成人男性のみで、女性と子供はいなかった。何でも昔は女性も火葬場に来ていたらしいが、自分の夫や子供が亡くなると、悲しみのあまりその燃える火の中に飛び込む後追い自殺のようなものが多かったためらしい。現地人談なので、確かな情報ではないかもしれないけど。
そして泣いている人も1人としていなかった。もちろん楽しんでいるような人はいないものの、日本の火葬場と比べると何とも不思議な空間だ。
焚き木の近くに落ちていたオレンジ色の花輪を、ヤギが貪るように食べている。
それを火葬職人の少年が追い払う。
少年が場所を離れた隙にまたヤギが戻って来て、もしゃもしゃと花を食べる。
遺族が雑談を始める頃、火葬職人が燃えてない部分が無いか探るように竹の棒で火の中をかき混ぜる。そこから上半身だけになった真っ黒な遺体を一旦取り出し、竹の棒で首の部分を掴み、再度火の中に入れて上から薪を足す。
私は淡々と行われるその作業をガートの隅に座ってじっと見ていた。
結構感受性豊かな方だと自分では思っているけれど、不思議と何の感情も湧いてこない。
数年前友人2人を事故で失ってから、死が関わる悲しいニュースを聞くだけでも涙ぐんでしまうのに。
あまりにもそれが「作業」として行われているせいなのか。
「そうなることが当たり前」と人に思わせる、聖なる川・ガンガーのせいなのか・・・。
灰になるまでには相当時間がかかりそうだったので、私はそれを見届けずにその場を後にした。
ヒンドゥー教徒はお墓を持たない。
ガンガーに流された遺灰はどうなるのだろう。
ただガンガーの水として流れていくのか、魚や微生物に食べられるのか。何にせよ、川の流れに漂わせて、そうして自然の一部になれるのは悪くないなぁ~と思った。
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