さて、ボツワナから長らくの移動が続き、ようやくナミビア観光です!
ナミビアでの最初の目的地は「オプウォ(Opuwo)」という町。
この町では沢山の少数民族が見られるというので、絶対行こうと思っていたのです。
オプウォの町並み
少し高台から撮ったオプウォの町並み。
舗装されているのがメインロードで、それ以外の場所はこんな感じ。
砂の町だな~。
ナミビアには世界遺産にも登録されている「ナミブ砂漠」がある。そのせいかどうかは分からないけれど、ボツワナからナミビア北部に入ってからは砂の質も変わった。
ボツワナの砂はよくある石の混じったジャリジャリとしたものだったのだけれど、ナミビアの砂は柔らかくて細かく、足を踏み込む度に周りの砂がもふっと立ち上がる。
靴の中も砂だらけになるので、早々にクロックスに履き替えた。
市場。
この市場には食堂もあるが、衛生的にチャレンジ出来なかった;
ただ飲み屋のような屋台も多く、みんなどぶろくのような白く濁ったお酒を飲んでいる。
少し味見させてもらうと、酸味があってほんのり甘くなかなか悪くはないのだけどいかんせんぬるい。何というものか聞いてみると、「オカジャンボ」というお酒とのこと。オカジャンボって・・・一体どういう意味なのだろう。
ナミビアでよく見かける砂糖会社の看板。何かかわいい。
どうやって少数民族の村へ行けばいいのか考える
オプウォは少数民族が沢山住むことで有名で、彼女達の村へ行くためにこの町に来たのだけど、バスを降りた瞬間から民族衣装を着た方々がアホほど見られるので、非常に驚いた。
おっぱい丸出しの女性達があっちにウロウロこっちにウロウロ、普通にスーパーのレジにも並んでいるのが違和感ありすぎて面白い。
もちろん写真を撮りたいところだけど、ここでは写真を撮る場合チップを渡すのが礼儀。まぁ逆の立場で考えるとそりゃそうだと思う。
と言ってもチップは5~10ドル(40~80円)程度でいいようなのでそれ程高くはない。
まぁ人を観察して写真を撮るだけなら町中でも充分楽しめるのだけど、私は実際どういう生活をしているのかが見たいのでやっぱり彼女達の村へ行きたい。
そして出来れば、村にテントでを張って1泊したい!
ネットで調べると、どうやらツアーは高いのでみんな通訳兼ガイドを雇ってレンタカーで行くよう。しかし私は国際免許証も車も無いので更に高くなる。
【1日で3つの村をまわる大体の相場】
村への手土産 ND100×3(村3ヶ所)=300
ガイド ND300~400
車 ND200
合計 ND800~900(6,800~7,600円)
※ヒンバ族、ヘレロ族、デンバ族の3つの村をまわるのが一般的。
手土産は渡す代わりに写真撮らせてね、と交渉するため。(これをしないと写真を撮る度にお金をねだられる可能性がある。)車を持っている場合は、村で泊まる場合も値段は変わらない。
車はガイドとヒッチハイクで行くことも出来るようだけど、それでも高い。
人数がいればこれをワリカンすればいいけど私は当然1人で、泊まっているキャンプサイトにも外国人は私一人。というか、場所が場所なせいか町中でも外国人は見ない。
しかし、少数民族の方達は英語が話せないので通訳兼ガイドが必要とのことだけど、そもそも私は英語もロクに出来ないので別にいらないんじゃ?ということで全て自力で村へ行くことにした。
ドラクエのような展開|村人「エリザベスさん」
ちなみにガイドを雇う場合は「エリザベスさん」という方が有名で、彼女は町にある「OK」という名のスーパーに出没するとのこと。
↓OKスーパー
※近くに大手の「SPAR」もある。
私は自力で行くことにしたので特に彼女に用は無かったのだけど、普通に買い物をしようとこのスーパーに立ち寄ると、スーパーの入り口遠くから
「オハヨウ~!コンニチハ~!」
と大声で日本語で呼び止める女性が。あ、まさか。
「村へはもう行った?私がエリザベスよ。」
イベントフラグ立つの早~っ!
とりあえず断り、スーパーで買い物をして出ようとすると更に警備員に呼び止められ
「エリザベスにはもぅ会ったか?」
って・・・何このドラクエのイベントフラグ見逃してないか確認する親切な村人みたいな発言!笑
そんなわけでエリザベスも親切な村人も無視して、やっぱり自力で行くことに。
エリザベスさんはいつもOKスーパー前のお土産屋さんにいます。
デンパ族の村に泊まろう!
オプウォとその周辺には大きく分けて
ヒンバ族・ヘレロ族・デンバ族 の3つの少数民族が住んでいる。
各部族ごとに別の村に住んでいるのだけど、1つの部族に1つの村というわけではなく、色んな場所に点在している。
ヒッチハイクで行こうにも何という名前の村に行けばいいのか分からなかったのだけど、ちょうど宿に来た現地の人にオプウォ近くにある、それぞれの民族が住む村を教えてもらうことが出来た。
まずは一番近い、デンバ族の村を目指すことに。
村までの公共の交通機関が無いので、ヒッチハイクの前に手土産を買う。
現地の人は村1つにつき「Mlize meal(トウモロコシの粉)10Kg」でいいと教えてくれたのだけど、10Kgも持ってヒッチハイクポイントまで行くのがしんどいので、トウモロコシ粉5Kgとクッキーとキャンディー、総額100ドル(約850円)分を購入した。
Mlize mealはガソスタにある「agra」というスーパーでは5Kgが40ドル(約320円)、10Kgが80ドル(約640円)だった。他のスーパーにも売っている。
昼くらいにヒッチハイクを開始し、20分もしない内に現地の人が乗せてくれた。
まずはデンバ族の住む「Otutati(オトタティ)」という村へ。
乗せてくれた人が「ここがオトタティだ」と降ろしてくれたのだけど。
辺り一面ただただ荒野。
・・・この先にほんとに人おるん?
不安に感じながらも進んで行くと、集落発見。
テントとバックパックを持ってノソノソと現れた私に、1人の男性が「I can’t speak English」と先制攻撃。
喋れてるやん・・・と思いながらも、英語がダメなら日本語でと長老っぽい年をとったおじいちゃんにジェスチャーを交え、
「ワタシ、テントアル、ココデネル、コレオミヤゲ、フォト、オーケー?」
と、外国人が話す日本語のようなノリだったものの、何とか通じたよう。まぁ何度も外国人が来ているだろうし、何となく言いたいことは分かるのだろう。
テントを設置し、早速村を散策しようとすると、さっき渡したクッキーやアメに人が群がり貪っている。
オプウォ周辺の村のことをネットで調べていた時、「貧しい暮らしをしているにも関わらず、渡したお土産は争うことなくのんびりと食べている」という記事をいくつか読んだのだけど、どうやら私はガチで貧しい村に来てしまったようだ・・・
村はいくつもあるので、エリザベスさんが連れて行く村と私が行った村は多分違うのだろう。
オトタティの集落
この村には電気もガスも水道も無い。
家はどれも木と土で出来ているのだけど、形は様々で可愛い。
村の子供達。
この子達の年齢になると英語教育も受けているようで、少し話せる女の子がこの後ずっと通訳してくれた。
私「あなた達はデンバ語を話すの?」
女の子「いいえ。私達はハカワナ族で、ハカワナ語を話すわ。」
何か聞いたことない部族名が出てきたけど;多分デンバ族と一言で言っても実際はもっと細かく分類されるのだろう。けれどここは他の村とも近いこともあるせいか、ヒンバ族やヘレロ族の話すヘレロ語も通じるようだった。
藁で籠を編むおばあちゃん。
この籠は「パパ」と呼ばれるトウモロコシ粉を練って作った主食を入れたりするのにも使われる。
おばあちゃんは言う。
「この村は本当に貧しい。作物も育たないし、ヤギもいないし、牛だって死んでしまったんだ。」
確かに村の中心には家畜を入れておくような木の柵はあったものの、家畜は1匹もいなかった。うぅ、悲壮感漂いすぎてるなぁこの村。
デンバ族の一家。
子供達の頭飾りもかわいい。
デンバ族の女性。
デンバ族の女性は写真のように前髪を黒い液体を固めているのが特徴。この黒い液体は木を燃やした後の炭を水で溶いてつくっているとのこと。
髪や体はカラフルなビーズのアクセサリーで飾り、上半身は裸で下は前と後ろで柄違いの布を2枚巻く。
実はこの写真を撮っている時には既にデンバ族のこの衣装を着させてもらったのだけど、お腹の肉がフォトショで修正するのも難しいレベルなので写真はUPしないことに笑。
一応上下水着を着ていたのだけど、みんなおっぱいはポロリなのに私のパンツが見えそうになるとすごく慌てる。上はいいけど下はやっぱダメなのね。
女性陣が喜んで着せてくれて、自分の付けているアクセサリーも沢山貸してくれた。腰に巻く布は前を短く、後ろを長くするのがポイントらしく、ベルトもビーズで出来ていてかわいかった。
もぅ1日くらい滞在してたら上も脱いでたかもな笑。
↓私の頭につけてくれた飾りは紙?のようなものを丸めたもので作られていた。
ただそこそこの年齢の子供はほとんど民族衣装ではなく洋服を着ていた。町から車で30分ほどの村なので、伝統的な民族衣装を着る人も少なくなってきているのかもしれない。
ちなみにこの写真↓はオプウォの町で撮ったもの。
こういった青やピンクや黄色の派手な色のスカーフを頭に巻いている女性陣を多く見かけたのでまた違う部族かと思ったのだけど、この女性もデンバ族。
この人はタンクトップを着ているのだけど、ブラだけの人もいる。正に「服を着るようになったデンバ族」。だけどこれはこれでカラフルでかわいい。
夜はお母さんが私が持ってきたトウモロコシの粉を水で練ったもちもちした食感の「パパ」をご馳走になる。
粉を溶くために「水持ってるか?」と聞かれたものの、私も水が尽きかけていたので助けにならず。川も無く雨も降らないこの時期、水も非常に貴重で歩いて30分くらい行った場所にある井戸?に水を汲みに行かなければならないとのこと。
いつ汲んだのかも分からない汲み置きの水で作られたパパはお腹に心配だったものの、さすが私のお腹、びくともしなかった。
自分の車で行けたのなら、お土産で水を持って行ったら喜ばれただろうなぁ~。
おかずのようなものは無いので、ご飯だけで食べているようなものなのだけど、子供達は草をすり潰したような緑の液体につけて食べていた。
ちょっと試してみたけど春菊をそのまま潰したような苦さで、私は結局つけずに食べた。
ただ今の時期日中は暑いのに、日が落ちるとぐっと寒くなるので出来立てアツアツの温かいパパは町中で食べるよりも美味しく感じる。
ご飯を食べ、子供達とやいやいしているとすぐ辺りが真っ暗になった。
電気もないこの村は暗くなると何もできないのでテントに潜ると、その後すぐどこからか歌声が聞こえてきた。テントを出て見に行くと、村人が20人ほど集まって同じ方角を見ながら歌っている。
何の歌かは分からなかったけど、改まった雰囲気で歌われていたので聖歌だろうか?ただ子供達は別で、ムカデ競争のように列をつくってワイワイと楽しく歌っていたりして、一体全体何をしているのかよく分からなかった;
子供達は私が来るなり集中力が途切れてしまったのかワラワラと集まり、ぺたぺたと服の上から私の胸を触る。真っ暗であまり見えないのでどうやら胸を触って男女の判別をしているらしい。
その後ナミビアの国歌を大合唱してくれた。
満点の星空に響く子供達の歌声。やっぱり泊まって良かったなぁ。
翌朝。
なぜか私のテントの外で毛布にくるまって寝ていた子供達。・・・寒いのになぜ?;危ないから?←結局理由分からず;
朝のオトタティ村。
私がテントを片付け出すと、子供達が
「ギブミーペン」
「ギブミーブレッド」
「ギブミーアップル」
と、ギブミーギブミー攻撃でガッカリする。
まぁガイドがいない分、「物を欲しがったりしないように」とか交渉出来なかったから仕方無いのだけど。
旅というものは綺麗なだけで終わらないことがしばしばある。
本当、これが無ければただ良かっただけで終われるし、わざわざブログに書かずに美しく終わらせても良かったのだけど、まぁこれがリアルな旅なのだ。
しかし最後に年配の男性が「私の名前を覚えておいてくれ」と、名前を紙に書いてくれた。「次来る時、この名前を言えばまたここに来れるだろ?」。
男性のこの言葉は、もしかしたらただお土産が欲しいだけなのかもしれないけれど、それでもやっぱり少し救われた。
しかし、せっかく村まで来たのに気づけば大して写真を撮っていない;
やっぱカメラを出した瞬間の「ヨソ者」感って何か嫌なんだよなぁー。まぁこっちがそう思うだけで、向こうからすればカメラを出そうが出すまいがヨソ者であることに変わりはないんだろうけど。
少数民族大集合!何だか偉い人のお葬式に参列する
さぁまたヒッチハイクで町まで戻るかというところで、1台の車が村に入ってきた。
町に戻るなら乗せて行って貰おうと話しかけると、町から更に行ったところで今日お葬式があり、そこに彼等を連れて行くのだという。
「君も一緒に来る?肉が食べれるぞ。」
「えっお肉!?もちろん行きます。(即決)」
昨日から正直ロクなものを食べていないので、すぐに飛びつく私。
太鼓を抱えた10人弱の村人と一緒に車の荷台に乗り、お葬式会場へ。
↓お葬式会場。
何か屋外のキャンプサイト?と言うより、ただの空き地のような場所。
木が茂るブッシュサイトで、集まった人達がそれぞれテントを張ってくつろいだり、歌ったりしている。
デンバ族の女性と一緒に歌の聞こえる方へ向かうと、ヒンバ族のグループが歌い踊っていた。
どうですか!このいかにも「アフリカの部族!」な民族衣装!
かっこいい~!!
めっちゃ戦闘力高そう!
デンバ族の村でもそうだったように、この民族衣装はお葬式だから着ているのではなく、普段着がコレ。なので、もちろん町の大きなスーパーでも、このままの姿で買い物カゴを下げてらっしゃいます。
頭の飾りや腰巻きやベルトは全て獣の皮で、肌が赤いのは「オカ」と呼ばれる赤い土を動物の油?で溶いたものを塗っているため。何でもヒンバ族の方は一生に一度も体を洗わないとか。でも近くで見ても肌すごくきれい!
円になって「オ~オ~」と手拍子をし、その中から時々円の中に人が入って踊る。人が踊り出すと手拍子も激しくなり、時々声を合わせて「ワカナ!」と叫ぶ。何だろうワカナって・・・。
円の中心には別に誰が入ろうがいいようなので、調子に乗ってえいっと飛び込むと、ちゃんと手拍子で盛り上げてくれた。見よう見まねでただ地団駄を踏んでいるような私の踊りにめっちゃ笑われたけど喜んでくれているようだったので嬉しい。
というか、ヒンバ族を従えているようで、何か気持ちいい笑。
ちなみにどの部族も、男性は普通の洋服を着ている人が多い。
もしくはこういう感じ↓で、デンバ族の女性同様前後柄違いの布を腰に巻いていて、木の棒を持っている。
一緒に行動してくれたデンバ族の女性。
今日は頭に羽根飾りをつけてオシャレしている。
こちらはヘレロ族の女性↓
元々ヒンバ族と同じ部族だったのだけど、西洋文化が入ってきた時に今まで通り服を着なかったのがヒンバ族、服を着るようになったのがヘレロ族とのこと。
「もう1枚このポーズで撮って」と撮らされたのはヤンキー座り。
町中でもこの格好で座って雑談しているヘレロさんが多く、これが伝統的なスタイルなのかも。ちなみにこのマフラーの赤・緑・青はナミビアの国旗と同じナミビアを象徴する色。
この色の服を着た子供のダンスチームもいた。
このお葬式はどうやらかなり大物が亡くなったようで、屋外に大きなテントが張られ、ざっと見ても100人以上の人が集まっていた。
手前からヘレロさん、デンバさん、ヒンバさん、、、と正に民族祭り!!
何人かの長いスピーチが続き、何かのタイミングでみんな「ビーバー!!」と拳を掲げる。
私も初めはやっていたものの、途中から面倒になりサボっているとデンバ族のおじさんに「ちゃんとやって」的に怒られた笑。
みんなに混じって拳を上げて意味の分からない「ビーバー!」という言葉を叫ぶ私。何だろう「ビーバー」って・・・;
これ?
これ?
ヘレロ族さん達の歌タイム。
・・・で、肉は???
この日はデンバさんに合わせて朝から食パン数枚しか食べていなかったのだけど、時間は既に夕方4時。
非常にお腹が減っている。
部族や子供達の踊りを見つつ(なぜかデンバさんは踊らなかった;)ぐーぐー鳴るお腹を抑えていたところでようやくお肉の配膳係が到着。
子供達はイチ早く並んで食事を受け取っていたので私も一目散に並びたかったのだけど、部族や大人達はじっと配られるのを待っていたので私だけ意気揚々と並ぶわけにもいかず。
暫くして私の近くに配膳係が食事の入ったパックを配り始め、まずヒンバ族の人達がそれを受け取っていたのだけど、持ち帰って家族と分けるのか、そのまま手をつけなかったり、少し食べて残したりしている。
偉いな~と思いながら、チラリと私がお世話になったデンバ族の方々を見ると、みんなバクバクと一目散に平らげていた笑。まぁそりゃそうだ。朝からパン数枚しか食べてないからね。
配られた肉↓
予想よりもちゃんとしていて、焼いた牛肉にご飯とマッシュポテトもついていた。しかしこれを数百人全員に配るって、亡くなった方は相当なお金持ちだったんだなぁ~。未だに誰か分からんけど。
お世話になったデンバ族の人達とはここでお別れ。
次回はこの流れで、ヘレロ族さんの村へアタックするのです!
オシャカティからオプウォへの行き方
オシャカティ(Ohakati)11:00発~オプウォ(Opuwo)14:00着
コンビス(ミニバス) 約3時間 ND150
※定員集まり次第出発。8時半から約2時間半待つ。
↓オシャカティのコンビス乗り場
オシャカティのゲストハウス(キャンプサイト)
「Oreness Rest Camp」
キャンプサイト:ND100
WIFI:あり(遅めだが一応使える、夜は厳しい)
設備:ホットシャワー(ぬるい)
行き方:バスターミナル(ガソスタPuma)から徒歩8分。バスターミナル周辺から北へ突っ切って行ける。
その他:コンセントが受付の中に1ヶ所だけしか無い。近くのバーがうるさいのでテントを張る場合はなるべく内側に張った方が無難。
宿泊日:2017.8.31~1泊、9.5~1泊
コメント